貴子さん
移住については(健太さんの)決意が固まってから聞いたので(笑)…やると言ったことは最後までやるところを尊敬しています。
Iitate Immigration Support Center “SAN-DO”
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2024.09.25
今回からはじまったインタビュー企画「僕らが飯舘村に移り住んだ理由。」。#01は、花農家の小原健太さんです。職業も暮らし方も以前とは全く違う生活を飯舘村でスタートさせた小原さん。花農家として歩む大変さや喜び、村での暮らしぶりのほか、移住者目線で感じた村の魅力をお聞きしました。
令和2年5月に、埼玉県さいたま市から移住した小原健太さん。移住前は会社員で、宮城県仙台市で単身赴任生活を送っていたそうです。取引先の1つである種苗会社の人と親しく意見を交わすうちに、「農業」に魅力を感じて転職を決意。会社を辞め、ローンで購入したマンションを売却して、飯舘村に移住しました。
小原さんは、飯舘村で、花農家になりました。栽培のノウハウは、未経験からの独学。ネットの情報を丹念に調べ、栽培農家を訪ね歩いて、予備知識を蓄えました。
そして、農地を借り、ビニールハウスが建ち、準備が整った令和3年。なんと作付け直前に暴風が吹き荒れ、真新しいハウスは全て壊れてしまいました。
気持ちが折れても不思議ではない状況。しかし小原さんは、その年の予定をリセットし、再び準備を始めます。3棟のハウスを自力で修繕し、野菜を育てて農作業を実践。さらには育苗ハウスなど2棟のハウスを建てることにも挑戦しました。
翌年の令和4年、学んだ知識をフル活用してトルコギキョウを初出荷。令和5年には、増築して5棟となった栽培用ハウスいっぱいに、生き生きとトルコギキョウが咲き揃いました。
しかし小原さんはキッパリと言います。「完全にビギナーズラックです!」。
令和6年のシーズンがスタートしました。年月の経過と共に、トラクターや刈り払い機が使えるようになり、1棟に2日かかっていた定植も、今や3時間ほどです。ハウスには、水分や温度を遠隔で確認できるセンサーが取り付けられ、液肥のパイプも通っています。
また、農地の土は専門機関の分析に出し、得られたレシピに沿って肥料や微生物を追加します。ハウスの土にビニールをかけて温度を上げるひと月がかりの消毒にも、初めて取り組みました。露地には、マルチシートの代わりに、蕎麦殻を厚く撒いています。
試行を繰り返し、花農家として成長を続ける小原さんですが、実は副業にも力を入れています。「花の栽培はさまざまな条件に左右されますから、収入源は分散して」とのこと。植物を調査する委託業務を請け負っていたり、村内の知人とウェブの仕事をしていたり。山林資源を生かそうと、自然の草木の活用も手掛けています。
およそ1年前には、1軒屋を借りて、村営の集合住宅から引っ越しました。「部屋が広くなり、物音も気にならない。木工所だった作業場を使うことができて、仕事もやりやすくなりました」。
小原さんは、都会からの移住でも「暮らしの不便さは、全く感じない」と言います。「コンビニが夜8時に閉まるなら、8時までに行けばいい。宅配便も、都市部と変わらず届きます。車移動が基本ですし、マンション暮らしの方が買い物は大変だったかも知れません。気になるとすれば冬の寒さぐらいでしょうが、冬道にも慣れました」。また、若い移住者の相談に乗ったり、彼らの仕事に手を貸したりもしていて、そこには自然な流れで、心地よいコミュニティが生まれています。
一方、妻の貴子さんは、村内の事業所で働きながら、定植や出荷の時期には、花の仕事を手伝っています。
貴子さん
移住については(健太さんの)決意が固まってから聞いたので(笑)…やると言ったことは最後までやるところを尊敬しています。
互いの信頼があってこその、大きな決断でした。
移住前、電車で1時間ほどかかっていた貴子さんの通勤時間は、車で約5分の距離に。現在は、いいたて移住サポートセンター「3ど°」で相談員として働いています。
「飯舘村の魅力は、チャンスがたくさんあるところ」と小原さん。貴子さんは、ゆったりとした里山の風景が、とても気に入っているそうです。毎日が新しい、わくわくする挑戦を続けながら、地域や人とつながる温かな暮らしを、二人で紡いでいます。
小原さん
全てが新しいことだから、探求すること自体が楽しい。アクシデントも悪いことばかりではないと思いました。「自分の成長が感じられるのもこの仕事のいいところ。サラリーマンを続けていると、そういう感覚は薄れていってしまうので。