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つなぐNOTE
飯舘村へ地域おこし協力隊として移住した人たちのインタビュー集「つなぐNOTE」。
手仕事をきっかけに。
村で新しいチャレンジをするために。
高原の農業に魅せられて。
飯舘村への移住を決めたそれぞれにストーリー、人生観、村の魅力と課題、想いがあります。地域おこし協力隊の隊員の皆さんの視点で、活動の軌跡と飯舘村での暮らしについて語ります。
今回は、フリーミッション型地域おこし協力隊として「麺屋骨道」を営む秋山聖奈さんにお話を伺いました。就任は令和7年6月。協力隊を目指した時のこと、現在の活動の様子、飯舘暮らしの魅力などについて、語っていただきました。
秋山さんが地域おこし協力隊になった訳
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青森県八戸市で生まれ、大学進学を機に上京。大学では英語学を専攻し、卒業後は建設業の営業職として就職。大学時代に今の主人と出会い、同じ建設業界で働いていました。
結婚後、新型コロナウイルスがきっかけで人が多い東京に居続ける理由が薄れていき、八戸市出身の私と飯舘村出身の主人のどちらかに帰って家を買おうかとどこかぼんやり話していました。決定的なきっかけは、主人の病気の発症です。東京は夏の暑さが厳しく、外仕事が主の建設業。このまま働き続けるのは難しいと感じました。そこで「涼しくて暮らしやすい場所へ移ろう」と移住話が現実味を増してきて、最終的には、私が「飯舘村のほうが良い」と言ったことが決め手でした。
飯舘村には法事や家の用事で訪れたことがあり、避難指示解除後の2018~2019年ごろには主人の実家や「宿泊体験館きこり」に泊まったこともあります。冬の夜に見上げた星空は、「こんなに星って近いんだ!」と衝撃を受けるほどで、あいの沢で見た景色は忘れられません。
移住前には東京で開催された移住フェアに参加。その後は、3ど°のスタッフの皆さんとメールや Zoom で相談を重ね、漠然としていた移住が徐々に現実味を帯びていきました。地域おこし協力隊になると決めてからも、選考の相談に乗ってくれ、本当に心強かったです。
飯舘村のご当地ラーメンを目指して
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あまみが強くてやさしいスープが特徴の牛骨醤油ラーメン
まず移住を決め、次に仕事を探しました。村内の就職先には限りがあるため、いっそ「自分で仕事をつくる」という選択肢もあるのでは、と考えるようになりました。そんなときに見つけたのが「フリーミッション型地域おこし協力隊」の募集です。ゼロから挑戦するには覚悟が必要だけれど、協力隊制度があれば実現できるかもしれないと思いました。
何に取り組むか考える中で、趣味で自宅でラーメンを作っていたことがあり、飲食なら挑戦できるかもしれないと思い至りました。それに村にはラーメン屋が一軒もなかったのです。本格的なラーメン作りに挑戦していた私。「ラーメン屋」を開くことに決めました。
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福島県の奨励品種である小麦「夏黄金」を使用した麺
飯舘村でラーメンをやるなら、主人の同級生でもある畜産農家・山田豊さんが育てた牛の骨を使うのが、いいのではと考えました。東京では牛骨ラーメンが流行し始めていましたが、福島ではめずらしく、差別化にもなる。「飯舘らしさ」も表現できると思いました。いつかご当地ラーメンとして定着し、村の名産である牛がもっと知られるようになれば嬉しいです。
暮らして感じる飯舘村のこと
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初めて飯舘村を訪れたときは、「本当に何もないんだな」と驚きました。当時はスーパーもなく、夕飯の買い物にも隣町まで行く必要があり、「わざわざ村を出ないといけないなんて!」と感じたほどでした。
けれど今暮らすうちに、村の良さを実感することが増えました。飯舘村では、村民との距離が近く、たった一回の出会いを大切にしてくれます。行政区のバーベキューやイベントで一度会っただけの人が、お店に来てくれたり、声をかけてくれる。偶然村内で会っても、挨拶だけで終わらず、もう一歩会話が広がる。そういう温度感が心地よいです。
環境的には、海が近い八戸市と山に囲まれた飯舘村というまったく違う土地のはずなのに、気温や空気感がどこか似ていて、私にはとても暮らしやすいと感じています。
これからは、お店を長く続けていくことが目標です。地域に根差し、自然と人が集まる場所として、ここで日々を積み重ねていきたいと思っています。
飯舘村地域おこし協力隊になろう!
飯舘村は、秋山さんのような「フリーミッション型地域おこし協力隊」の募集を2026年春から開始します。任期は3年間。募集の詳細については、下記フォームよりお問い合わせください。