埼玉県の出身で、地元で建設業に就いていた天野さん。飯舘村のお隣、相馬市に住むお祖父さんから「こっちに来て牛を手伝ってくれないか」と誘われたのが就農のきっかけです。
天野さんはお祖父さんを手伝いながら、牛の品評会に出かけたり、技術指導を受けたりして、「牛の面白さ」に触れていきました。そして、牛を増やすために牛舎を増築しようと準備を進める中で、東日本大震災に見舞われました。
震災により状況ががらりと変わって牛の相場が大きく崩れ、このまま進むべきかを一時は考えましたが、それでも天野さんは決意を固めます。「器用じゃないので、やはり自分は牛一本でいこうと。祖父から畜産業の名義を委譲してもらいました」。
そして、飯舘村から相馬市へ牛と共に避難をしていた佐藤一郎さんに出会い、今後にかける思いを語り合う中で、飯舘村への移住を考えるようになりました。
村内の農業者の集いに参加する天野さん(平成30年/隣が佐藤さん)
移住に踏み出すことができたのは、「嫁の後押しが大きかった」と天野さんは振り返ります。放射線の影響についても、聞いて調べて、大丈夫だと納得した上で、家族の移住を決めました。
天野さんは、村内の畜産農家の牛舎を一部間借りして、牛を少しずつ村に運び、村の制度を利用して新しい牛舎を整備しました。
また、子どもたちは、待機児童になることなく、こども園に通えるようになり、預かり保育も利用できるようになりました。移住から5年が経過した現在は、上の2人が小学生になり、移住後に生まれた女の子もこども園に通っています。
「園生活や学校生活のさまざまな場面で地域の人と関われるのもいいですね」と天野さん。「そして豊かな自然が身近にある。特に長男は、昆虫や魚など生き物が好きですね。のびのびと遊んでいます」
仲のよさが伝わります。5人家族と猫のヤミちゃん
天野さんは、妻の恵さんと二人三脚で、牛の繁殖と肥育を行っています。コロナ禍の影響や経済動向のあおりで牛の価格が低迷しているのに加えて、燃料代や飼料代の高騰が続き、畜産農家には厳しい状況が続いていますが、ここが辛抱のしどころと、日々の仕事に力を注いでいます。「僕らの仕事は、よい牛をつくることが、まず大前提ですから」。
母牛が50頭いて、毎月のように牛のお産が続くこともあります。ICT機器を導入し、牛舎のカメラ映像をスマートフォンで確認していて、そろそろ生まれるというタイミングをキャッチしています。
1頭1頭に手をかけて「よい牛」を育てています
「和牛改良組合ができて、皆さんによくしてもらっています。また、年齢の近い先輩と情報交換ができるので、助かっています」と天野さん。「ライバルのように見えるかも知れませんが、切磋琢磨してよりよい牛を出していければ、産地として認められ、市場価値を変えていける可能性もあります」。
天野さんは、よい牛をつくることを基本に、トレンドにも注目しながら、市場の評価が高い血統や肉質を高めるエサの食べさせ方など、さまざまな情報を得て工夫を重ねています。
「ゆくゆくは肥育までの一貫経営を目指したい。繁殖の基盤を安定させて、あそこなら間違いないと市場で認められるような仕事をしていきたいですね」。
牧草の栽培や刈り取り、エサやり、堆肥出し、セリへの出荷と、忙しい日々を送る天野さん夫婦。仕事を分け合い、互いを思いやりながら、家族と一緒に飯舘で、畜産の道を歩んでいます。
牛舎でいきいきと過ごす3兄妹。その様子を牛はのんびり眺めています