2024.12.15
【ミチシル旅レポートvol.8】12/14-15子育てわくわくミチシル旅「子どものわくわくと冬を楽しむ旅」
2月14、15日、飯舘村で移住検討者向けツアー「子育てわくわくミチシル旅」第2弾が催されました。テーマは「まるで大きな家族のように子育てする村をゆく」。村の育児や教育をめぐる環境とサポート態勢を知っていただくことが主な目的で、小さなお子さんを連れた親御さんらも参加されました。義務教育学校の『いいたて希望の里学園』や『飯舘村子育て支援センター』などを訪問。大人は充実した設備や手厚い子育て支援策に目を見張り、子どもたちは開放的な施設の中を元気いっぱい走り回りました。
【行程一覧】
1日目
[9:30] 福島駅から『もりの駅まごころ』へ
[10:30] 『までいの里のこども園』到着、園児の生活発表会見学
[12:00] 『もりの駅まごころ』にて昼食・オリエンテーション
[14:00] 『いいたて希望の里学園』見学
[15:30] 大久保・外内集会所で”までい”を知るワークショップ
[17:00] 『宿泊体験館きこり』にチェックイン
[19:00] 『田舎レストランLa Kasse』で夕食
2日目
[7:50] 『エムケーファーム』菊野里絵さんの朝食
[9:30] 『飯舘村子育て支援センター』見学
[10:40] 『いいたて村の道の駅までい館』で買い物、『ふかや風の子広場』見学
[11:40] 『いいたて移住サポートセンター3ど°』スタッフによる移住相談会
[12:30] 『コーヒーポアハウス』のケータリングランチ
[15:00] 福島駅に到着、解散
【1日目】
今回の参加者は、家族連れや単身の女性など15人の大人数。うち6名は小学3年生から生後7カ月までの子どもたち。歓声の絶えない、にぎやかなツアーになりました。子ども連れの3家族のうち、1組はおばあちゃんも一緒の3世代での参加です。
福島駅からバスで到着した一行が最初に訪れたのは『までいの里のこども園』。0歳から小学校入学前のお子さんを預かる認定こども園です。幼稚園と保育園の機能を兼ね備え、2018年に開園し、現在は38人が通っています。
この日は生活発表会。園児たちはお芝居や歌、楽器演奏など練習の成果を堂々と披露し、ツアー参加者は保護者と一緒に見守り、懸命な熱演に拍手を送りました。浦島太郎をベースにした創作劇では「海はごみ箱じゃない!」というせりふも。定番の昔話に環境問題のメッセージを織り込み、子どもたちの目を社会に向けさせる先生方の工夫を感じました。
こども園を離れ、昼食会場となる『もりの駅まごころ』へ。ここは調理や食品加工の設備を備え、住民が無料で使えるシェアキッチンです。かつては農産物直売所でしたが、福島第1原発事故による休止を経て、2年前にインキュベーター(起業支援)施設として再オープン。『もりの駅まごころ運営協議会』会長の鮎川邦夫さんが、その経緯を説明し「ぜひ村へ移住し、利用してほしい」と呼びかけました。鮎川さん自身も20年前に村へ移住した方です。
参加者も加工室に入り、親子でクッキー作りを体験しました。作り方を指導する田中久美子さんも移住者の一人。訪問看護師の仕事をしながら、村内でベーグルの店『村カフェ753(なごみ)』を営んでいます。
生地をクリスマスツリーなどの形に型抜きし、カラフルなチョコスプレー(チョコレートを細かく刻んだもの)で彩る作業に、親子で取り組みました。
昼食は地元産の粉で打ったおそばがメイン。副食はセルフサービスで、鶏のから揚げのほか、いずれも村内で作られた白菜、ジャガイモ、ダイコン、ヤーコンなどの野菜を使った炒め物、漬け物などがズラリ。締めは飯舘産のもち米を使った海苔巻き餅、そしてデザートは田中さんが腕を振るったタルトタタン(リンゴのタルト)です。
調理を担当した協議会メンバーも一言ずつあいさつ。そば打ちをした松原光年さんは「(震災・原発事故で)つらいこと、悲しいことはまだありますが、今年(2024年)は能登半島でも大きな地震と豪雨があった。今まで応援してもらったので、今度は私たちが能登を応援したい」と話しました。
昼食を済ませ、向かったのは『飯舘村立いいたて希望の里学園』。震災前、村内にあった3つの小学校と1つの中学校を統合し、2020年4月に開校した義務教育学校です。広々として、木の温もりが印象的な校舎内を見学しました。
村教育委員会の高橋政彦教育課長が、スライドを見せながら学校の成り立ちや特徴を説明しました。学園は小学校にあたる前期課程(1~6年)、中学校にあたる後期課程(7~9年)の9年制で、職員室も1つ。中学校に上がるのをきっかけに不登校やいじめが起きる「中1ギャップ」を避けられるのもメリットだそうです。
2024年12月現在の生徒数は計81人(前期47名、後期34名)。1学年あたりの人数は5~12人で、1教室を2、3人の先生が担当し、外国語指導助手(ALT)による英会話授業やタブレット端末を使ったICT(情報通信技術)教育などにも取り組んでいます。前期課程の一部から、専門資格を持った先生が受け持つ教科担任制を導入し、前期・後期の枠を超えた相互乗り入れ授業を行うことも特徴です。
実は午前中に訪問した認定こども園と建物がつながっていて、情報共有も円滑。校舎内に放課後児童クラブ(学童保育)が設けられ、共働きやひとり親の保護者も安心です。給食費は無料で、教材費も村から支給されるので、PTA会費を除けば保護者の負担はゼロ。在校生の半数は村外から通学していますが、村内に住む子も含めスクールバスで通っています。
参加者からは、部活動や高校進学のことなど質問が次々と飛びました。たとえば、飯舘村から福島市や南相馬市の高校に通学すると片道1000円以上のバス代がかかりますが「それに相当する金額を村が貸し付け、卒業すれば返済が免除される制度もあります」と高橋課長は答えていました。
こども園の三品勝彦園長からも説明がありました。絵本の読み聞かせ、3歳児からの英語・異文化交流教育、水泳や雪遊び、実際に食材を使った食育など体験型の教育に力を入れているそうです。
夕暮れが迫る中、次にバスが向かったのは大久保・外内(よそうち)行政区の集会所。行政区は都市部の自治会・町内会にあたる住民の助け合い組織です。ここでは、正月に家の玄関などに飾り付ける「しめ縄」作りを、地元の長正サツキさんと三瓶たつ子さんに教わりました。
昔の農家は稲刈りが終わった後に残るワラを無駄にせず、編んで縄にしたり、布団の詰め物にしたりと活用していました。最近は稲刈りに機械(コンバイン)を使うようになったせいもあり、農村部でもしめ縄を自作する家は少なくなりましたが、その技術と「までい」(丁寧に仕事をする、物を大切にするという意味の地元の言葉)の精神は引き継がれています。「しめ縄には神様が宿ると言われ、来年もお米がたくさんできますようにお願いする意味もあるんです」と、三瓶たつ子さん。
数本のワラを手に取り、両手でより合わせて縄にしていきます。それを輪にして麻ひもで結び、赤いナンテンの実や松葉、稲穂などの飾りを添えれば出来上がり。小さな子どもの手では少し難しかったかも知れませんが「頑張って」「すごい、上手だね」と見せ合い、声を掛け合いながら、親子で楽しく作りました。
しめ縄作りが一段落すると、民話の保存と読み聞かせに取り組む長正サツキさんが、2つの小話を披露してくれました。1つは1着のコートをとことん大切にし、破れてもその生地で帽子や蝶ネクタイなどを作る人の話。もう1つは、各地に伝わる昔話「豆と地蔵」で、こぼれ落ちた豆を「いたましい(もったいない)」と追いかけたおじいさんが、お地蔵さんの粋な取り計らいで得をし、その話を聞いて欲を出し、わざと豆を転がした別のおじいさんが、ひどい目にあうストーリー。
どちらも”までい”の心を伝える話ですが、現代風にいえばSDGs(持続可能な世界を目指す国連の開発目標)ですね。
夕食は、地元出身の若手シェフ佐藤雄紀さんが、2年前に村へ戻り古民家を改装して開いた『田舎レストラン ラカッセ』で楽しみました。
佐藤さん自身が育てたというネギの甘さを生かしたスープに、柿とキノコの炊き込みご飯。メインのミートローフは飯舘産の牛肉に、チーズと地元で栽培されたナツハゼ(ブルーベリーに似た甘酸っぱい木の実)を混ぜたそうです。ソースには国見町(福島県中通り北部で果樹栽培の盛んな町)のリンゴを使い、相馬市松川浦(浜通り北部で日本百景の一つに数えられる景勝地。豊かな海の幸でも知られる)で採れたホタテとタコも並びました。シェフの創意と郷土色あふれるメニューに、一同大満足のディナーでした。
震災前は畜産が盛んだった飯舘村。「飯舘牛」というブランドはまだ名乗れませんが、若手生産者による復活へ向けた取り組みが村内外で続いている――そんな話も佐藤シェフがしてくれました。
【2日目】
2日目の朝は最低気温が-6℃まで下がり、一行が泊まった『宿泊体験館きこり』と『農業研修館きらり』周辺の地面はキラキラした霜に覆われていました。
そんな寒さの中、早朝から用意した朝食を届けてくれたのは、村内で農業法人『株式会社エムケーファーム』を経営する東京出身の菊野里絵さんです。祖父母が福島市で果樹栽培をしていた縁で同市に移住。東日本大震災でいったん農業を離れましたが、今は飯舘村でミニトマトなどを作っています。
そんな菊野さんが用意してくれたのは、コンビニの人気商品として知られる「悪魔のおにぎり」(天かす、青のり、ゴマをご飯に混ぜたもの)など3種のおにぎり。お米はもちろん村内で生産されたもので、福島県が独自に開発した「天のつぶ」という品種です。春菊のおひたし、大根の煮込みなど、おかずにも飯舘の野菜がたっぷり。みそ汁のみそも、地元で作られたものです。
食事の合間に、ツアー参加者の一部が泊まった『農業研修館きらり』についてスタッフが説明しました。農業は村の基幹産業ですが、原発事故の影響で減ってしまった後継者の確保が大きな課題。『きらり』は、その課題に応えるため2024年7月にオープンした施設で、農業研修が目的なら格安の料金で長期間の滞在が可能です。
また、地域活性化のため活動する地方移住者を国が支援する「地域おこし協力隊」には、企業・団体に雇用されるタイプの「企業雇用型」が設けられ、飯舘村では4人が働いています。協力隊には自分でお店を開くなど起業の「フリーミッション型」もあり、3年間の任期を卒業した隊員の多くが村に定住しています。
2日目最初の訪問先は、『飯舘村子育て支援センター』です。
育児に奮闘するお母さん、お父さんをサポートするこの施設は2011年4月にオープンする予定でしたが、原発事故で延期され、2023年7月に開所したばかり。希望の里学園などと同じように、壁にも床にも福島県産木材を使った明るく温かみのある建物で、遊具やおもちゃもすべて木製です。
早速、子どもたちは歓声を挙げて滑り台で滑ったり、クリスマスツリーに飾るオーナメントを作ったりし始めました。
子どもが遊んでいる間、大人は村健康福祉課の佐藤こずえ係長から、村の子育て支援や福祉について説明を受けました。
飯舘村は「大きな家族」をコンセプトに、地域ぐるみの子育てを進めています。子ども家庭総合支援拠点に専門相談員を配置して育児に悩む親の相談に乗り、戸別に訪問もして応援。村独自の「父子手帳」(パパ宣言手帳)を配付し、子育てに熱心なイクメンを称える「ナイスパパ」表彰など、男性の育児参加を促す取り組みも震災前から行っていました。
出産時には国からの一時金(50万円)とは別に、村独自で1人あたり20万円の祝い金を支給。生後1カ月の乳児健診や、発達障害の子に関する相談事業なども行っています。
また、子ども・大人を問わず障害を持つ人の居場所(誰でも来られるフリースペース)として、公設民営の医療機関『いいたてクリニック』内に地域活動支援センター「なのはな」を開設しているそうです。
村のほぼ中心に位置し、買い物や食事に便利な『いいたて村の道の駅までい館』にも立ち寄りました。同じ敷地内の『ふかや風の子広場』には、トランポリンのように飛び跳ねられる「ぴょんぴょんドーム」もあり、子どもたちは大喜びでした。
最後の訪問先は村の『いいたて移住サポートセンター3ど°』。参加者は家族単位に分かれ、スタッフと移住について個別に相談しました。
相談内容で最も関心が高かったのは、やはり住まいの確保。村が空き家・空き地バンクを通じて物件をあっせんし、改修費用などの補助も行っていること、空きがあれば村営住宅にも入居できることなどを説明しました。
スーパーマーケットなどの本格的な商業施設が村内になく、道の駅以外に食品や日用品を買える場所がないことにも不安の声が出ましたが、車で20分程度走れば隣の川俣町のスーパーなどが利用できること、2025年春には村内にドラッグストアが開業することなども伝えました。
昼食は、村内でカフェ『コーヒーポアハウス』を営む横山梨沙さんが用意し、3ど°に届けてくれました。オーストラリアでのワーキングホリデーをきっかけにバリスタ(コーヒー職人)になった福島市出身の横山さん。フリーミッション型の地域おこし協力隊員として来村し、2023年に店をオープンしました。週3日の平日には『コーヒー屋の食堂』として、手作りランチも提供しています。
この日のメニューは玄米もち麦ご飯と野菜やきそばを中心に、飯舘産の白菜や大根、にんじんを使ったサラダや和え物など。一見素朴な中に作り手のこだわりが感じられる、おいしくヘルシーな品々でした。
食事の後は、ツアー全体を振り返るミーティングを開きました。
パートナーと一緒に小さな娘さんを連れて参加したお父さんは「トータルで『いいな』と。建物も立派で、子どもたちがのびのびできるイメージが持てた。教師の皆さんも手厚く配置されているし、村の人々もアットホームな印象。仕事の調整がつけば移住したい」と前向きな感想を明かしました。
2人のお子さんを連れて参加した女性は、こんなふうに語ってくれました。
「子育て支援が充実していて『子どもを産むほどハッピー』な印象。農村は閉鎖的なのでは、と心配していましたが(飯舘は)違うようですね。困難な経験を乗り越えてきたからこそ、多様性を認め、移住者を受け入れる土壌があるのかな、と。どこから来て、どんなバックグラウンドを持った人でも活躍できる地域だと思いました。移住の候補地として考えます」
原発事故による避難で散り散りになってしまった家も多い飯舘村。帰還した住民と移住者が一緒になり、地域全体を「大きな家族」にしていくことができれば、未来に光がさします。ツアーに参加した皆さんが、その一員になる日を待ちたいと思います。