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2024.10.28

【僕らが飯舘に移り住んだ理由#2】田中久美子さん

僕らが飯舘村に移り住んだ理由。#2 田中久美子さん

インタビュー企画「僕らが飯舘村に移り住んだ理由。」。#02は、ベーグル専門店「村カフェ753(なごみ)」を営む田中久美子さんです。

東日本大震災が起きた平成23年3月。東京都出身の田中さんは、福島県立医科大学大学院の修了を、混乱の中で迎えていました。そして間もなく、すでに就職が決まっていた神奈川県の病院で看護師として働き始めますが、震災と同時に離れた福島のことが、ずっと気がかりだったと言います。

そして5年が過ぎ、田中さんは福島に戻って来ました。同級生らが相馬市で立ち上げた訪問看護ステーション「なごみ」に加わり、被災市町村の人々の心のケアに関わり始めたのです。

「なごみ」のメンバーとして訪れた相馬市の仮設住宅で、田中さんは、飯舘村の人々に出会います。「当初から惹かれていました。飯舘に恋をしたのだと思います」。

平成29年に村の大部分で避難指示が解除されると、田中さんが関わっていた仮設住宅の皆さんも、徐々に村に戻るようになりました。「それで、村を少しでも元気にすることができないかと、私も村に引っ越して来たのです」。

令和元年、田中さんは、村に移住しました。震災による避難で福島市に移転した「椏久里珈琲」の建物を借りて、ベーグル専門店「村カフェ753(なごみ)」を開店したのは翌年、令和2年のことです。

除染の除去土を入れたフレコンバッグがまだあちこちに残っていて、新型コロナの感染拡大が始まった時期でもありました。家族や友人は、田中さんの挑戦を非常に心配したそうです。「椏久里珈琲のオーナーである市澤さん夫妻にもご心配をいただきました。それでも力を貸してくださって。椏久里さんのご協力があったからこそ、お店を開くことができました」。

田中さんは、埼玉県でベーグル専門店を開いているいとこのレシピで、国産の小麦粉を使ってベーグルをつくっています。生地は程よくモチモチで、さまざまな食材を組み合わせるアレンジは新鮮。味わい豊かでとびきり楽しいベーグルが、月替わりのラインアップで店頭に並びます。飯舘村の農産品を活かした、アイデアたっぷりのご当地ベーグルも、次々に誕生しています。

ベーグル店の経営は、「うまくいっているように思われがちですが、本当に大変。経営を維持していくのは簡単ではありません」と言います。しかしすでに、「村カフェ753」は紛れもない飯舘村の名店であり、評判を聞きつけて、遠くから訪ねて来る人もいます。

また、季節の花々や採れたての野菜、あるいは田中さんに話したいことを抱えてやって来る常連の皆さんもたくさんいて、田中さんの笑顔とおいしいベーグルに元気をもらって、帰って行きます。

新型コロナによる行動制限がなくなり、他市町村のさまざまなイベントからも、出店の依頼が届くようになりました。「そうした機会を経験するうちに、村でもイベントをやってみたいと考えるようになって」。

田中さんは、加工施設を運営するN P O法人「もりの駅まごころ運営協議会」の一員。飲食が楽しめる交流イベント「ワクワクマルシェ」を、仲間と共に立ち上げました。「高齢になってきている方たちも、自分がつくったものを一生懸命加工しています。それらを披露する場がほしいとも思いました。アウェーではなくホームで」。

マルシェには毎回テーマを設け、全員がそのテーマに向けて、出品に知恵を絞ります。「チャレンジャーになって、新しいものをつくる。皆さん元々技術を持っていますし、何より食材への誇りがありますから」。マルシェは回を重ねるごとに、魅力と活気を増しています。

「飯舘の人って、他の地域の人とは何かが違うと思いませんか。山の人であり、品格や誇りが備わっていながら、それを表に出さない奥ゆかしさがあると感じます」。田中さんの飯舘愛は揺るぎなく、むしろ深まっているのかも知れません。

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